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状況環境依存的であること(2013年12月17日)

児童健全育成指導士 田中 純一

 

    状況環境依存的なこと1 科学も状況環境依存的である

 放送大学の社会技術概論をたまたまテレビでみた。その中で東京大学院教授の藤垣裕子さんが科学者(≒専門家)の持っている知識が普遍的で正しいと思いがちであるが、そうとも限らないとの論を展開されていた。

 私は、実際の現場では状況環境依存的であるから、科学者(≒専門家)の考えが当てはまるとは限らないとの考え方をしていた。藤垣裕子さんは科学者(≒専門家)の知識もまた、純粋培養されて特殊な環境に状況環境依存的であるから、科学の知識(いわゆる真理と言われるもの)だけが知識ではないと言われる。そこで、専門的な知識とは別にいろいろな知識の考え方を提起している。

 専門的な知識も現場の知識も両方とも必要である。しかし実は両者とも状況環境依存的である。専門家・科学者と言われる人が理想的な状況や環境に立っているだけと考えていけば、その主張が読めるのではないかと思う。

 そして社会に役立つ知識を提案している。一つはローカルノレッジ(頑強なる知識)である。第2にモード1とモード2の知識である。第3に一般研究活動と規制科学の違いについてなどを論じている。知識を一つと固定しないで柔軟な考え方を持ちたいと思う。

 

    状況環境依存的であること2 ローカルノレッジについて

 科学者≒専門家の持っている知識を科学の知と一応今後名付けてみたい。それに対して私は今まで臨床の知があると考えていた。今回は社会技術概論の考えで社会に役立つ知を対応させて役立つ知として考え方を展開してみたいと思う。

 科学の知は特殊な一定の安定した実験室内的な状況と環境に依存して展開されている。しかし役立つ知はその場、その時に、その人々との関係の中で展開される。

 たとえば、教育の現場においては、体罰は禁止されている。しかしながら、教育という特殊な環境を前提としての話である。実際には教育以前の地域性・人間関係・特殊性が存在している。だから児童の暴力行為を実力で阻止しなければならないこともある。

 家庭環境が不遇で夕食・朝食を抜かされている子どももいる。ハングリー イズ アングリ―で粗暴な行為を他人に対してやることも多くなる。不当な暴力を阻止するとともに、ハングリーを解決する手法をこうじなければならない。これを科学の知で『教育の基本として、子どもを受容し、共感してあげる。保護者に養育ネグレッとしないように指導する。』と手法を出す。しかし何も解決しない。現場では教育だけではなく、衣食住そして生活費の問題もあるからだ。ローカルノレッジはいくつかの要因がある中で、その場所その場所で持っている経験から導き出された知識である。理想的な環境のもとで作られた科学の知とは別の知も必要だとの考えである。

 ローカルノレッジは頑強なる知識ともいわれる。いろいろな要因が組み合わさっての知識が経験の中で培われてきたものである。科学の知だけではわからないことも多いのである。

 映画八甲田山で、地元の人がこれから吹雪となり、危険が近づいていると提案する。これに対して、陸軍の上官が『わが軍にはコンパスがある。コンパスがあれば道を間違うわけはない』と押し切って遭難した。訓練参加者210名中199名が死亡した。

明治27年1月23日 午前655分に歩兵第5連隊は青森連隊駐屯地を出発。田茂木野において地元村民が行軍の中止を進言し、もしどうしても行くならと案内役を買ってでるが、これを断り地図とコンパスのみで厳寒期の八甲田山踏破を行うことになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6(出展)

 ローカルノレッジと言われる頑強なる知識もそこに生きている人々が持っている知識だからこそ尊重しなければならない。

子どもの健全育成においても同じことである。まずは現場の状況と環境がどのようなことなのかをしっかりと観察し、アクションリサーチ(一回行動してみて、その結果でまた探索する手法)などのいろいろなチャレンジをしていくことが必要であろう。

 

   状況環境依存的である3 モード1の知識とモード2の知識

 イギリスのスプル研究所が考えた手法である。モード1の知識とは専門分野内で進められる知識生産のことである。専門の研究者が専門的知識を生産するために行われる。学問的で研究的で基本としては論文等の専門家の相互の査読によってある論文は拒否され、ある論文は取り入れられるなどして、発展していく知識である。

 モード2の知識は問題解決のために進められる知識生産のことである。応用の論理が取り入れられ、広範な分野から問題解決のために様々な検討がなされ生産される知識のことである。

 科学の知としてのモード1の知識も大切である。同時に社会に役立つ知識としてのモード2の知識も重要である。それぞれの良さを上手くいかしていくことが必要である。しかしモード1の知識が権威を与えられえて、モード2の知識が軽視されることもあるように思う。現場サイドの人間としては評論家的な指導をしてくる人たちに対して、相手がモード1の知識での発言でしかないことを考慮しておくのが良いのではないかと思う。そんなことを考えて状況環境依存的であるとのことを学び、また書いている。

 私は児童健全育成指導士の資格取得のために論文の査読をしていただいた。これはモード1の知識のために必要なことであった。しかし、私は現場にいた。現場では次々に状況と環境は変容していく。

 資格取得まで10年ほどかかった。その間に3回違った論文を書いた。最初は子どもたちが群れ遊ぶことが少なくなっていることから群れ遊び復活のための手法とのことを書いた。具体的には平成3年に『児童館におけるグループ遊びの考察〜ゲームの中における小グループの編成及び障害児との関わり〜』の提案であった。査読してもらって、修正している間に子どもの様子も変容していった。放課後児童クラブのことが重要性を帯びてきたので、放課後児童クラブの運営と児童館活動との関係性について考察した。また平成11年度に地域での活動も必要との考えから児童育成研究18巻に『児童遊園の活性化を目指して〜平島児童遊園6年間のチャレンジ〜』とのことを書いた。

最終的にはADHD傾向の子どもの指導が中心的な課題がいって、平成12年度の児童育成研究19巻で『児童館・放課後児童クラブにおける個別援助活動と集団援助活動の併用過程について〜Nの事例を通して〜』を書き児童健全育成指導士の資格取得となった。

 私自身にとって論文を書くことはとても良い経験にはなった。同時にモード1の知識とモード2の社会に役立つ知識とのギャップを感じた面もあった。論理的に証明することよりも現状に対処して子どもたち、そして自分がよりよく生きることが大切と思っていたので、次々と状況環境が変わるとともに私自身の手法や考え方も変わっていったからだ。

 モード1とモード2の知識の上手い手のつなぎあいを見つけたいものだ。

 

    状況環境依存的である4 一般研究科学と規制科学について

 藤垣裕子教授は一般研究科学と規制科学の違いを以下のように分類している。

 

一般研究科学

規制科学

研究機関

大学など

国の研究所・企業の研究所

研究資金

国の研究資金・補助金

契約による

最終目標

真理

サービス可能な真理

方法論

科学者共同体によって確立

規制専門委員会によって確立

評価とレビュー

専門家内の同僚評価

(ピアレビュー)

科学諮問委員会の専門家による評価・利害関係者による批判

時間的制約

時間制限なし

政策上決められた時間内に結論

監視と説明責任

他の科学者による引用

立法による監視

司法によるレビュー

 (放送大学社会技術概論第11回社会に役立つ知識より引用)

 地方公共団体が何かをなそうとするときに、諮問委員会が開かれる。諮問委員会では、専門家・関係者・一般代表者等々いろいろな分野からの人たちで構成させることが最近は多くなっている。一般研究科学と規制科学の考え方の違いを認識したうえでの互いの知識を深いものにしていく方向性を探りたいものだ。

 少子化対策の諮問委員会に出席した時がある。企業の立場・学校の立場・ジェンダーフリーの立場・医師会の立場・民生児童委員の立場・行政の立場・子育て関係者・助産師関係者などが出席した会議であった。私は児童館児童クラブの現場からの立場で出席した。立場がいろいろなのでいろいろな意見が出る。だが、それぞれ無関係になってしまうので、生産的な会議ではないように思われた。それぞれの立場の人が相手の状況や環境に対する理解をもっと深めていくことが必要だと思った。

 

   状況環境依存的である5 科学技術と民主主義は矛盾する

 社会技術概論の第9回科学技術と民主主義の中で藤垣教授は科学技術と『民主主義は矛盾している面がある』との論を紹介されていた。

 民主主義は一般的に人々の人々による人々のために考えられる。科学技術は科学者の科学者による人々のために考えられる。同じ人々のためであるが、人々の人々によると科学者の科学者によるとのところが違っている。これは大きな問題であるだろう。しかも科学研究のためには人々の税金が多額に使用されているのである。

 政治のことも考えてみると、人々の人々による人々のためが、政治家の政治家による人々のためにとなっていることもある。科学者も政治家もややもすると人々のためが政治家のため。科学者のためになってしまうこともある。

 科学技術での政治でも初期の段階から上手く人々が関与していくシステムを作っていくことが必要であると思う。

 

   状況環境依存的であること6 PAモデルPUSモデルについて

 PAモデルはパブリックアプテクタンスモデルと言われて、専門家が人々に教えてやる啓蒙的なモデルである。PUSモデルはパブリック アンダースタンデング オブ サイアンスと言われている。PUSモデルは多数の判断・いろいろな価値観・ローカルノレッジ・双方向の知識の伝達などが特徴であるという。

 専門家(≒科学者)と人々の関係性が上下関係ではなく、双方向の関係性になるように、専門家(≒科学者)と人々からの相互アプローチが必要なのではないかと私は思う。

 

 

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