☆ホーム

「遊びを考える」から「活動を考える」との思考の移行過程について

  始めに
 私は『tomoyanの遊びを考える』とのホームページを作り始めて10年が経ちます。専門学校などの授業で何を教えるかを記録するために始めました。遊びを考えるにしたのは、職場である有明児童センターが児童館だったからです。児童館は遊びを通して児童の健全育成をすることに法律的になっていました。しかし、この場合の遊びをどのように捉えるかがとても難しいことでした。遊びは子どもの自主性に依拠するから、子どもの自由にさせておけばよいと考える人たちがいました。一方で今の子どもは遊べないから遊びを教えてやることが大切との考えがありました。遊び場も汚いくらいが良いとの考えときちんとしておくことが必要との考えがありました。ですから、児童館児童センターによってまったく異なる施設となっていることもありました。
 私は遊び場環境作りを第1義的に実施し、次に遊べない子どもが自ら遊べるようになるための働きかけをどのようになすべきかと考えていました。そこでツーパワースリーパワーで遊ぼうとか新しい遊びの開発(=椅子の減らない椅子とりゲームや参りましたジャンケン遊び・5人組みジャンケン遊び・みそラーメンジャンケン遊び)や新しい遊びの手法(アクション折り紙・アクション朗読などなど)を開発して、現場での実践の紹介をしていました。これが『tomoyanの遊びを考える』のホームページを始めた所以です。

 遊びへの疑問
 子ども達に遊びを通しての健全育成をやっていて、疑問となることがありました。遊びを充実させるためには、遊び場環境作りが大切となります。汚い・危険な遊び場は遊び場としては不適切です。そこで、児童館の職員の仕事として遊び場環境作りが必要となります。けれど多くの児童館職員は遊びの指導者と考えていますので、トイレ清掃や草取り・ゴミ拾い・木の剪定・建物の修繕などをやりたがりません。こうした仕事は用務員の仕事と考えています。7年ほど前にこの考えが間違いであると私の職場では提案しました。すると子どもの遊び場環境作りが大切となりました。けれど、それでは子どもは何をすることになるのでしょうか?職員が一生懸命草取りをしているのに、子どもはたんに遊びほうけていることになります。よく出来たもので、子どもは職員の姿を見て、作業を手伝うようになりました。
 ここで児童の健全育成を遊戯療法だけにこだわる必要がないと私は思いました。作業療法も健全育成になると考えたのです。以下はその時の記録です。

 先週の土曜日(平成22424日)職員5名と児童80名・保護者8名ほどで自然科学館へ出かけた。私は留守番をしていたのですが、合唱部との活動で行けない女の子が4人ほどと遅刻をした等で残っていた男の子が8人と中学生が3人いた。私はお父さん達のボランティアを動員して、松の剪定をしていた。子ども達に剪定した松の木から葉をとって、ゴミ袋に詰めさせる作業をさせた。午前10時〜1130分までの作業で90リットルのゴミ袋に20袋も出た。そしてすっきりときれいになった。子ども達には褒めてあげてから揚げ君をプレゼントした。子ども達はとても喜び、「やったなあ」などと話していた。この場合に自然科学館へ遊びに行った子どもと残って作業をした子どもを比べた場合にどちらが自主性・社会性を高め、健康管理・安全管理・情緒の安定をし、活動への意欲と態度の形成になったかは甲乙付けがたいのである。私にはどちらかと言えば、残った子どもの方が社会に貢献できたとの自尊心を高めた分だけ得をしたのではないかと思うのである。

 こうした考え方から、遊戯療法を活用した児童健全育成だけではなくて、作業療法を通して児童健全育成の手法を開発していきました。ケースワークにおいても不登校児童等が児童館等に来館した時に、学習をさせるのではなくて、私の作業の手伝いをさせる手法を始めました。不登校児童はお昼過ぎにやってきます。お昼から夕方の他の児童が下校するまでの間の2時間くらいを草取りや買い物などのお手伝いをさせます。学習は家に帰ってからやってもらいます。家で自習することで、夕方まで頑張るので、昼間の作業と夕方の学習で夜に眠くなり、夜昼の逆転が解消されます。また自分が世の中に役立っていることを感じて自尊心が高まることになります。
 このような形で遊びを通してケースワーク・グループワーク・コミュニティワークを展開するのではなくて、作業を通してのケースワーク・グループワーク・コミュニティワークの手法を開発していきました。

 働くとは何か?
 子ども達を作業療法を通じて健全育成をしようと考えた時に、『子どもを働かせても良いのか?』との指摘がありました。そこで調べてみると、『働く』とは実は日本の国字であり、人のために動くとの意味であることがわかりました。日本人は働くの漢字の中に稼ぐとの意味を持たせていなかったのです。働くとは人のために動くというすばらしい日本の民族性です。これはとても大切にする必要がある漢字と私は思います。

 全ての活動は「働き」「学び」「遊び」と遊びが包含されている
 
児童の健全育成は遊びだけではなくて働きも大切と考えるようになってから、もう一点気づいたことがあります。子ども達に作業や遊びを教えている時になかなか話を聴かない子どもが多いことに苦慮することです。そこで考えてみた時に、働きや遊びを学んでいる時は働きでもなく遊びでもなく、実は学びだったのです。学びですから、謙虚に静かに学ぶことが必要となります。この観点から展開されたことは全ての活動は実は「働き」「学び」「遊び」が包含されていることの事実です。折り紙を折る場合でも、折り紙を準備の段階は働きであり、折り方を教えられている時は学びです。その上で自由に折り始めたら遊びとなります。全ての活動は「働き」「学び」「遊び」が包含されていて、そのバランスを上手くとることが必要となることに気づきました。指導の上で大切なことは、今は学びの時間なのか働きの時間なのか遊びの時間なのかを考えさせて行動させることです。学びの時間にはしっかりと話を聴いたり、真似をしたりすることが大切です。働きの時間には人のために役立つように動くことが必要となります。遊びの時間には心を開放させて、自由に発言したり、動き回ったりすることが大切です。このバランスを上手く切り替えてやれば、諸活動は上手くいくことになります。

 遊びを考えるから活動を考えるに
 
子ども達の健全育成の手法として、遊びだけではなくて働きも取り入れるとの考え方から全ての活動には「働き」「学び」「遊び」が包含されているとの考え方に移行してきました。この考えを推し進めれば健全育成の活動だけではなくて、学校での授業や会社における仕事においても上手くいくのではないかとの仮説を私は考えています。

 

inserted by FC2 system