☆ホーム

子どもの躾(2012年11月19日)

児童健全育成指導士 田中 純一

私は2012年8月にフェースブックを始めた。私は傾斜(のめり込み)が激しい。毎日FBに書き込みをしている。FBはとてもたくさん書き込めるので、どこにあるかわからなくなったりもする。そこで、FBの中から自分が大切だなあと思う部分をコピーしておくことにした。また、他の人の書き込みも入れて、いろいろな意見を出してみたいと考えている。もちろん、FB友達のものだから、私の仲間なので基本的に賛同の意見が多い。同時にそれぞれの人たちが実践的な方々なので、実際の事例をあげての書き込みが多いので、メリットもたくさんあると思う。基本的にコピーを中心とした。(一部自分のものを含めて誤字脱字は独断で修正した。)

 落ち葉拾いとベンチ後片付け

     

 秋が短くてあっという間に冬ですね。昨日、120リットルで8袋くらいケヤキの落ち葉を集めたのに、今日も8袋集まりました。18人くらいの仲間が参加してくれました。

 30分で落ち葉拾いを終了して、公園のベンチの冬支度をしました。雪の間は木のベンチ(6つのベンチと子ども入れサークル1)や水道のホースリールは必要ないので、1ケ所に集めてブルーシートで縛っています。

 みんなで頑張って積み上げ、シートをして、荒縄で縛り上げました。その後ペイントマーカーで「きけん」「のぼるな」「さわるな」などとブルーシートに書いて注意を促すようにしました。

 書いてないと触ったり上ったりする子どもがいて危険だからです。問題なのは危険なことをしても注意しない大人が多いことです。そして何よりもお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんなど付き添いの大人が危ないことをしても注意しないことです。

 「あぶないから上らないで」などと周りの人が注意をすると、子どもの父母や祖父母が「どこにも上っていけないと書いてないではないか。」ということもあるこのごろです。

 基本的な躾を大人から考え直さなくてはと思ったりもします。もちろん自分自身のことも振り返りながら。

       
  





以下は書き込みをいただいたものと私の書き込みです。

渋谷 美智代 お疲れさまでした・・・(*^ ^*)♪ 『躾』大事ですよね・・・m(__)m同感です☆

田中 純一 渋谷さんへ 躾という字は国字で日本人が作ったものだそうです。働くも語源は『人のために動く』で中国には無かったもので、日本人が作ったものだそうです。日本の良いところを伸ばしたいと思います。

長谷部 美也子 お疲れさまでした!そういえば私が子どもの頃は、悪いことしてると知らない大人によく怒られました。でも安心感もありましたね。他人の子でも分け隔てなかった時代でした。

田中 純一 長谷部さんへ 褒めて育てよというけれど褒めるだけでは子育ては上手くいかないように思います。叱ったり褒めたりの塩梅が大切なのではないかと思います。叱ることの出来る関係性が大切ではないでしょうか?

村山 慶子 この前高齢の男性のアップでレストランでキックしたり騒いでいる子を見て「ほのぼのする、親もぎすぎすしていなくていい光景だ」とかいてあったので「、私だったら公共の場だから叱る」といったら書き込み禁止といわれました。こちらから削除しましたが、納得いかないな〜

田中 純一 村山さんへ 変な子ども観があるように思います。子どもは元気で悪さするぐらいがよいみたいな考えです。しかしながらそうした考え方の人は自分が被害を受けない場合のことで、自分が被害者になったら、ガンガン怒るようです。自分・相手・第3者の三つの立場から考えて欲しいものだと思います。平島公園のビニールで出来た乗用式芝刈り機の格納庫を破って覗こうとしている4歳の男子がいたので、「僕ダメだよ」と注意をしたら、『この子は障害児です。ダメは言わないでと指導されています。自由にやらせてください』と言ったお母さんがいたことを思い出しました。

村山 慶子 其れで、又そこで万が一事故が起こった場合責任とれって言いかねませんね。ダメなものはダメって言わない親が増えてきてます。障害持った方も都合の良しあしで、特別扱いしろ、するなって行ってくるのを経験しました。これからどんな社会になっていくんでしょうかね

田中 純一 村山さんへ 何でも他人のせいにする傾向が強くなってきていることの危惧しています。公園の遊具なども「」付き安全の観点からの撤去が増えています。使い方のルールを守らないために壊れているものも多いものです。原発も含めて絶対安全などということはないのですから、基本的なルールを守る躾をきちんとできる体制に今のうちにしないと困ったことになりそうだと思います。

渋谷 美智代 なるほど〜m(__)m そうなんですか・・・m(__)m 勉強になりました・・・☆ 我が家は学校の近くにありますが、小学生や中学生に声をかけます・・・(*^ ^*) 息子たちの友達にも何だかんだと声をかけていますが、全く知らない子には、注意しにくいこともあるし、勇気がいります・・・m(__)m 大人として恥ずかしくないようにありたいと思います・・・☆ 私は保育園で働いていますが、日々関わらせてもらっている子どもたちひとりひとりを、大切にしたいと思っています・・・m__m ありがとうございました・・・☆

山本 葉子 すごく、勉強になりました。「愛情こめた叱る」の意味がわからなくなってきていると思います。

田中 純一 山本さんへ 嫌いな人は叱りませんよね。好きだから叱るのだと思います・でも叱るのはエネルギーがたくさんいるのです。そして嫌な目でも見られることも多々あります。よい人に見られたい人はなかなか叱ることが出来ないのではないかと最近感じています。父母までが子どもにおもねているような感じがします。

堤 敏彦 同感します。他人の子を怒れない世代。。。

    田中純一 堤さんへ 他人の子を怒れない世代。。。
    まったくその通りですね。最近では自分の子どもも怒れない世代が増えているように思います。叱ったり怒ったりするとすぐに児童虐待よばわりされることに原因もあるように    思います。危険なことやっていけないことをしたらしっかり叱り、最後に「理解したあなたはとてもよい子どもよ」と褒めてあげたいものです。脳科学者の茂木健一郎さんが「何    のために叱るのか?それは褒めるためである」と言っています。まったくその通りで危険なことをしたら、しっかり叱り、最後を褒めてあげるのが大切と思います。私自身がカ    プラや折り紙などのワークショップしていて、褒めるが2で叱るのが1くらいの割合でした。叱る場合に前後2の褒め言葉を考えなくてはならないので叱るのはとてもエネルギ    ーが必要です。


田中 純一 退職前のことです。私は危険なことをしたらガンガン叱っていました。ところが子ども達は折り紙やカプラやワミーなどで気に入った作品が出来ると私のところへ来て「こんなのが出来ました。見てください」と持ってくるのです。私自身はなんでこんなに叱る私のとこへ来るのだろう?と思っていたのですが、今、考え直してみると、私はガンガン怒ったけれど、けっこう褒めていました。たぶん褒めの声かけは無意識で他人の3倍以上やっていたように思います。叱ることも褒めることも両方が大切ですね。話は戻りますが、今日の平島公園清掃に来た子ども達にはたくさん褒めておきました。でも時たま悪いことをすることもあり、そんなときはガンガン叱っています。戦略的に考えてみると、日ごろ褒めるのはきちんと叱ることのためかもと思い始めました。メッセージとして『私はあなたの味方とよ』との意味で褒めたり、話を聴いてあげたり、話を聴いてもらったりしています。でも本当にやっていけないときはきちんと叱るようにしたいものです。叱るために人間関係維持のための関係性として褒めておき、きちんと叱ってまた褒める。そんな繰り返しなのかもしれませんね。戦術的に考えると最初は褒めよりも『この人はこわそうだな』と思わせておくことも一つの手法かもしれません。あんまり子どもに優しい人と思われるとわがまま放題な振る舞いをされることも多々あるからです。でもそれはいろいろな子どもがいるわけで、あくまでも戦術であって、いつも同じ手法がよいとは限りませんが。ともかく子どもの機嫌取りのためにやさしく振舞うのはあまりよいことはないようです。日曜日なのでいろいろ課いてみています。

佐々木 美佳子 不特定多数のこどもがいる公園は、連れていったこどもたちを含め安全管理しなくてはならないものです。石を投げて遊ぶこどもや、思いきりサッカーを小さなこどもの脇でする中学生などに、まったく面識がないと躊躇してしまいそうですが、勇気をだして声をかけなくては!と思います。「うるせーな!」と捨てゼリフを残す子もたまにいますが

寺田 恵美子 しかったり 伝えたりすることは本当にパワーが必要ですが安全やしつけなど子どもたちのことを考えれば 必要なときにきちんと対応したいなと思っています。たとえその瞬間は嫌われても・・・・・。と 叱ったり伝えたりする側の自分も行動 言動に気をつけよう!!と思う日々です。(楽しい飲み会で盛り上がりすぎたときの姿は子どもたちにはみせられませんが^m^

inserted by FC2 system