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佐世保事件に思うこと(2014年8月8日)

児童健全育成指導士 田中 純一

 

     佐世保の事件に思うこと1

 佐世保の事件で過去に小動物を殺したり、また殺人へと発展する可能性があるのではないかとの相談が寄せられていたことなども明らかになってきた。私自身も小動物を殺す事例があり、『輪廻の思想がある。あなたがいつかその動物になることもあるから、ダメなものはダメ』と言ったことがあります。人間の心の中には魑魅魍魎があります。

 Wikipediaによると魑魅魍魎(ちみもうりょう)とは、山の怪物や川の怪物。様々な化け物、妖怪変化。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪であり[1]、一般には山河すべての怪として魑魅魍魎の名で用いられることが多い[2]。なお、古くから「みのり」と言う名でも通っている。これは実る鬼と言う意味で古くから地方で使われている。とあります。

 佐世保の女子高校生のような心はみんなにもある。でもそれをしないようにきちんとしていくのが教育の大きな役割です。それもなんでもかんでも受容共感していけば良い的な考えが問題行動を助長させているように思います。ここらで受容共感的な観念論を突破しなくてはと思います。

 カウンセリングの一つの手法でしかない受容共感が自分たちが全てであるかのように思い始めていることに問題があると私は思います。

 「」受容共感論者の問題はもう一つあります。子どもの発達段階を考慮していないところです。小学生3年生くらいから次第に人間は自分の能力を客観視できるようになっていきます。自分を客観視するとは自分は何でも出来るとの全能感が消えてきて、自分の能力のなさもわかるとの辛いことでも同時にあります。自分の限界を知り、それを明らかにし、努力を続けていくとの能力が必要となります。仏教ではこれを悟りと言い、諦めるの意味です。

 ひらがなで書けばあきらめるで、あきらかにするということは明らかです。ですからがまんとあきらめが大切な時代となってきます。会津の什のおきてで『ならぬものはならぬ』と表現されています。このあきらめが出来ない人・幼児性が抜けきれないくて自己中心的なふるまいが続いていることは周りがとても迷惑しています。この迷惑をかけている姿をビデオ等に撮って子ども自身と保護者に見せてあげる必要性があると思います。

 「」受容共感的態度を小学生3年生くらいになってもやりなさいと言うの人は自己満足と子どもの実態を理解していなくある意味では幼児性が抜け切れていない人だと思います。

 なお佐世保のような事件が起きると受容共感論者は特殊な精神的異常であると主張するようですが。

    佐世保事件に思うこと2  働くこと

 人間の中には魑魅魍魎(ちみもうりょう)があり、意識しているにせよ、意識していないにせよ悪魔的な要素があることは間違いないようです。自分の中に悪魔的要素があることを自覚して乗り越えていくことも大切です。逆に全く自分は魑魅魍魎がないと思っている人は少し危険かもしれません。

 さて他人の眼から見ても魑魅魍魎が渦巻いている場合はどうしたら良いかを私は考える必要があると思います。たいていは小動物の殺戮にその衝動は現れます。こうした時に受容共感すれば何かを生むというものでもありません。私は働く経験を積むように一つはさせます。働くとは人のために動くであり、傍を楽にさせるからの語源との説もあります。公園の草取り、ゴミ拾い、清掃、石拾いなどなど他人のためになることを指導者自身が率先してやり、子どもたちにも経験を積むようにさせています。世の中がみんなの助け合いや仲間で支えられていることを身体で経験するつまり勤労体験をすることは子どものアイデンティティを作り、自尊感情を高めるようです。

 働く体験をすべての子どもたちに増やしていくことが佐世保のような事件を少しでも減らす手法の一つではないかと私は考えています。

 

    佐世保の事件3 ごっこ遊び

 物事をなす為にはいろいろな手法が必要だと思います。一つの手法だけでは通用しないからです。演劇なども疑似体験で自分を見つめなおすのによい手法と私は思います。演劇と言うと難しそうですが、簡単に言えばごっこ遊びです。ジャンケンばっきゅーんとの遊びがあります、じゃんけんをして勝つと相手を手のピストルで射殺できるというものです。ごっこの中で殺したり殺されたりすることに我慢が出来ない子どもがいます。こうした子どもが小動物殺戮へと走ることがあるように思います。逆にごっこ遊びの中で現実と非現実を区別できることが大切なのかもしれません。現実と非現実を区別できているかどうかを見極めるためにちょっとした演劇は一つの手法であると思います。

 佐世保の事件も精神鑑定になっていくでしょう。小さい時からどのような対応や手法が必要かを考えていきたいものです。

 

    佐世保の事件4 動物セラピー

ずーっと ずっと だいすきだよ

ハンス・ウィルヘルム著画 久山太市訳 


エルフのことを話します。
エルフは世界で一番素晴らしい犬です。
僕たちは一緒に大きくなった。
でもエルフの方が、ずっと早く、大きくなったよ。
僕は、エルフの暖かいお腹をいつも枕にするのが好きだった。
そして、一緒に夢を見た。
兄さんや妹もエルフのことが大好きだった。
でもエルフは僕の犬だったんだ。

エルフと僕は毎日一緒に遊んだ。
エルフはリスを追いかけるのが好きで、ママの花壇を掘り返すのが好きだった。
時々、エルフが悪さをすると、うちの家族はすごく怒った。
でもエルフを叱っていながら、みんなエルフのこと、大好きだった。
好きなら好きと、言ってやればよかったのに、誰も、言ってやらなかった。
言わなくても、わかると思っていたんだね。  

いつしか、時がたっていき、僕の背がぐんぐん伸びる間に、エルフは太っていった。
エルフは年をとって、寝ていることが多くなり、散歩をいやがるようになった。
僕はとても心配した。 僕たちは、エルフを獣医さんに連れて行った。
でも、獣医さんにも、できることは何もなかった。
「エルフは年をとったんだよ。」 獣医さんはそう言った。
間もなくエルフは階段も昇れなくなった。
でも、エルフは僕の部屋で寝なくちゃいけないんだ。
僕は、エルフに柔らかい枕をやって、寝る前には、必ず、
「エルフ、ずうっと、大好きだよ。」 って言ってやった。
エルフはきっと分かってくれたよね。

ある朝、目を覚ますと、エルフが死んでいた。
夜の間に死んだんだ。
僕たちは、エルフを庭に埋めた。
みんな泣いて肩を抱き合った。
兄さんや妹も、エルフが大好きだった。

でも、好きって言ってやらなかった。
僕だって、悲しくてたまらなかったけど、いくらか気持ちが楽だった。
だって毎晩エルフに、「ずうっと大好きだよ。」 って言ってやっていたからね。

隣の子が、子犬をくれると言った。
もらっても、エルフは気にしないってわかっていたけど、僕はいらないって言った。
代りに、僕が、エルフのバスケットをあげた。
僕より、その子の方が、バスケットがいるもんね。
いつか、僕も、ほかの犬を飼うだろうし、子猫や金魚も飼うだろう。
何を飼っても、毎晩、きっと言ってやるんだ。

「ずうっと、ずっと、大好きだよ。」 って。

 

 犬や猫などを飼って世話をする経験を積むことも大事ですね。でも自宅に飼えない家もあります。平島公園ではちゃんとリードをつけておけば犬も猫も公園内で子どもたちと触れ合うことが出来るようにしています。

    佐世保の事件5 守秘義務

 カウンセリングと言うと守秘義務はいつも問題になりますが、例外が当然あるわけです。今回のように他人を傷つける可能性のある場合、守秘義務は適応になりません。児童相談所に連絡が入っていたのに対応をしていませんでした。私の感じですが、児童相談所は上目線で、取り組まなくても良いところに手を出して、取り組まなくてならないことを先送りしているように感じます。大変な問題は18歳までに実際に問題とならなければあとは警察へとの感じがします。

 「」受容共感論者が多いのかなあと感じます。本当にカウンセリングをするなら、一生付き合うくらいの気持ちがないとと私は思います。守秘義務もそんな中にあると思うのです。

 一生付き合うくらいの覚悟がないなら、さも自分のやり方で間違いがないなどとの言い方は改めるべきです。こういうやり方もある。違ったやり方もある。いろいろやってみたが、私もいろいろ失敗だらけです。お互いに助け合っていきましょうくらいが良いのではないかと私は思います。

 

     佐世保事件のこと6 先送り

 保育園や幼稚園は小学校に先送り。小学校は中学校へ先送り。中学校はとにかく卒業させること。高校となると退学させて社会に出す。児童相談所は早く18歳以上になって自分の管轄外に。先送りをしていれば自分の責任にならない。先送りが出来なく事件事故を起こすと想定外であったと言い訳。そんな体制になっているようだ。

 もう10年近くなるが、中学生が仲間の暴行で死ぬ事件が起きた。学校はすでに学校崩壊状況にあり、PTAが学校の見回りをしている状況であったという。もう少しすれば中学を卒業するから出来るかけ刺激をしないとの校長の方針だったとか。そして相手を殺すまでの事件へと発展させてしまった。中学3年生の春休みの事件だった。

 受容共感、受容共感と言っては先送りをして事態をどんどん悪くしていっているように私には感じる。安易な先送りの手法をストップして一貫した手法を開発せねばと私は思う。

 

   佐世保事件に思うこと7 仲間つくり

 結局、人という動物は仲間の中でしか生きられないようだ。小動物を殺戮してしまう子どもでも心のどこかでみんなとつながりたいと思っている。殺戮衝動を肯定するのではなく、みんなとつながりたい気持ちを上手く作っていく方向が必要であると思う。小動物を殺してしまう子どもに『輪廻の思想であなたがその動物になるかもしれないから、やめなさい』と言って、仲間つくりの方向へ頑張るようにした。もちろん仲間とはトラブルの連続で多くの苦労を仲間も私もその子どもも大変なことであった。

 もう一つはゴキブリ退治や蚊をやっつけるのに頑張ってもらった。ゴキブリやハエや蚊を恐れるような子どもではなかったので、ずいぶんと仲間の尊敬を集めた。私自身もそうだが、ゴキブリやハエや蚊をやっつけるとかなりの快感がある。そうした衝動が自分の中にもあるのだなあと思う。

 道路工事でコンクリートを壊す仕事をしている人に話を聴いたことがある。『けっこう大変な仕事ですね?』『ぶっ壊すのはストレス解消になるのですよ。』との話であった。

  佐世保事件に思うこと8 仲間つくりと働くこと

 仲間つくりを考えると多くの仲間と共通の活動をすることが必要となる。一般的には遊びとか学びとかがあげられる。しかし日本人は全ての活動の中には遊びと学びと働きは一体となっていると私は思っている。働くとは人のために動くである。活動の中で人のために動くことがあれば、人間は一人で生きられないことがわかってくるであろう。しかも働くとは欧米的な金銭を稼ぐとのことではなく、みんなのためになるとの考えである。

 みんなのためになる仲間との活動を増やしていくことが必要だと私は思う。

 荒れているクラブなどの指導を頼まれることがある。荒れているというのはそれだけのエネルギーがあるわけだ。やっていることを受容共感するのではなく、そのエネルギーをみんなのために使う手法を提案することが大切であると私は思う。荒れるエネルギーの根源理由を探ることが必ずしも日本人に必要であるかが私は疑問である。というのは受容共感を提案したロジャースの基本的な考えの中には何といってもキリスト教の考えが存在している。神の御心(イエスキリスト)があるとの前提の欧米的な考えと働く思想や自然界全ての中に神がいると考えている日本人とは手法が違う必要性がある。これは河合隼雄先生から学んだことである。

 佐世保事件のようなことが起こらないように日本に適した対応を考えていくことが必要であると私は思う。それは世界の中でも貢献できる手法でもあるので

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